第一章 港に浮かぶ白い船──偶然の出会い
その日の営業会議を終え、会社を出たのは夜の七時を過ぎていた。私は、朝から用意していたキャリーバッグを転がしながら、港へ向かう連絡バスに乗り込む。週末を利用した、ひとりだけの小さな旅。
飛行機や新幹線ならあっという間に着く距離なのに、私はあえて船を選んだ。波の揺れに身をゆだね、日常から切り離された時間を味わいたかったからだ。
港に着くと、白い船体がライトに照らされて夜の闇に浮かび上がっていた。その光景は、仕事で張り詰めていた心をほどくように、胸の奥を静かに満たしていく。
チケットカウンターで案内されたのは、偶然キャンセルで空いた個室。ベッドと小さな机、丸窓だけの狭い空間だったが、私には十分だった。海を眺めながら自分のペースで過ごせる場所は、都会では得られない贅沢だ。
チェックインを済ませてデッキに出る。潮風に吹かれながら缶ビールを片手に、出港前の港をカメラに収めた。ざわめき、係員の合図、荷物を運ぶ人々の足音……それらが一つのリズムのように響いてくる。
ふと横を見ると、少し離れた場所で写真を撮る男性の姿があった。肩から下げた黒いカメラは、私のものよりひとまわり大きく、本格的に見える。
──いいカメラだな。そう思った瞬間、言葉が口をついていた。
「あの……すごいカメラですね。やっぱり重いですか?」
男性は驚いたように振り返り、すぐに柔らかな笑みを浮かべる。
「ありがとうございます。まあ、旅には少し大きすぎるんですけどね」
私は自分の小さなカメラを掲げて笑った。
「私は軽さ優先です。荷物が多いと動きづらいので」
「それが正解だと思いますよ。僕は仕事柄どうしても重いほうに……」
そう言って彼が胸ポケットから取り出したのは、新聞社の社員証だった。
「地方紙の記者なんです。長谷川直樹といいます」
「記者さん……! なんだか格好いいですね。あっ、高橋紗季です」
「いえいえ。取材で各地を回るだけの、地味な仕事ですよ」
「でも、いろんな町を見られるなんて羨ましいです。私は広告代理店勤務で、ほとんどオフィスの中ばかりですから」
「広告代理店……忙しそうですね」
「はい。毎日数字や締め切りに追われてばかりで。だから旅に出ると、解放された気分になるんです」
「それ、わかります。僕も写真を撮る時間だけが、ちょっとした息抜きなんです」
「写真とお酒、ですね?」
「ええ。飲むとつい撮れなくなるのが難点ですが」
冗談を交わした瞬間、私たちは顔を見合わせて笑った。会話は自然に広がり、港を離れゆく船の揺れとともに、距離も少しずつ縮まっていく。
やがて汽笛が鳴り響き、港の光が遠ざかっていった。私はデッキの手すりにもたれ、缶ビールを傾ける。潮風に揺れる夜景を見届けたあと、空になった缶を持って隣の直樹へ軽く会釈した。
「じゃあ、私はそろそろ戻りますね」
「あ、はい」
別れの言葉を交わし、私は部屋へ戻った。
着替えを手に取り、船内の大浴場へ向かう。脱衣所で足元から順に服を脱ぎ、かごに畳んで入れていく。ブラのホックを外すと、解き放たれた胸がわずかに揺れ、深く息が漏れた。一日の疲れがほどけ、旅先へ向かう高揚と開放感が胸いっぱいに広がっていく。
浴場に入ると、湯気と石けんの香りが漂い、体を包み込んだ。シャワーの下に腰を下ろすと、周囲には数名の女性客がそれぞれ静かに体を洗っていた。視線を交わさなくても、人の気配を背に受けながら髪に湯を通すと、心地よい熱が頭皮をほぐし、緊張がひとつずつ溶けていく。
指先でシャンプーを泡立て、髪を根元から揉みほぐす。泡と水滴が首筋を伝い落ちるたび、自然と肩の力が抜けていった。やがて胸や腹も丁寧に洗い流し、湯気と人の気配に包まれながら、自分だけの静かな解放感を味わう。
立ち上がり、湯船へと向かう。滴る雫が腰や太腿を伝い、歩みのたびに胸が柔らかく揺れた。湯気にかすむ明かりの中、その動きさえ不思議なほど艶やかに思えた。
湯に身を沈めると、熱が全身を包み、ふっと息が漏れる。窓の外には闇の海に浮かぶ月がにじむように光を放ち、波間に淡い揺らめきを落としていた。私は、いま自分が日常から切り離された船旅の夜にいることを、あらためて実感した。
しばし湯に浸かり、熱を胸に残したまま浴場を出る。火照った肌にひやりとした空気が触れ、その心地よさに深呼吸する。バスタオルで水気を拭き取り、鏡の前でドライヤーを手に取った。風に揺れる髪が頬や首筋をかすめ、じんわりと汗が引いていく。
新しいショーツに足を通し、ズボンをはき、ブラ付きのキャミソールを身に着ける。最後にジッパー付きのパーカーを羽織ると、清潔な布に包まれる安心感とともに、気持ちまで軽やかになった。



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